♯7「火事とポチ 有島武郎」ご出演の絵永けいさんを紹介します!

絵永けいさんの舞台を始めてみたのは、1997年の5月。Theatre Group“OCT/PASS「1997年のマルタ」という舞台でした。23年前のことですが、今でもはっきり場面場面を思い出せるほど、学生演劇しか知らなかった私にとっては衝撃の舞台でした。ラストシーンで「マルタになってたまるか!」と客席を睨みつけてセリフを吐き捨てる絵永さんの姿は、今でもはっきりと思い出せます。アングラ芝居とも初めての出会いでした。こんな作品を創る劇団があるのか、こんな美しく、力のある役者さんが仙台にいるのか…と、家に帰ってからも衝撃で呆然としていたことを覚えています。
 オクトパスのホームページを見たら、そのときの舞台の写真と石川裕人さんのコメントが掲載していましたので、絵永さんに許可を頂いて最後に掲載させていただきました。“暗渠(あんきょ)の光明”、というタイトルです。何だかコロナ禍下の今の状況ともリンクする内容でハッとさせられます。石川裕人さんの文章は先見の明があるものがとても多いのです。

 その後、石川裕人さんが主宰するワークショップに参加したり、恐れ多くもオクトパスの舞台に出させていただいたりして何となくご縁は続いていたのですが、私が演出をやるようになって絵永さん個人とお付き合いさせて頂くようになったのは、2018年3月、私が石川裕人さんのブログを構成させて頂いて「東北物語、ここからはじまる~震災と表現 石川裕人氏の足跡を道しるべに」という作品を上演させて頂いてからです。シリーズで企画していた「東北物語」の中で、石川裕人さんの言葉を伝えたいと思ったのと、上演するなら絵永さんに絶対に出演して頂きたい、と思ってお電話したのでした。もし絵永さんが出演NGであれば、上演はあきらめようと思っていたのですが、快くOKしてくださいました。当時私はまさに子育て暗黒時代(下の子の夜泣き全盛期)、仕事復帰も控えており、多分芝居をやめざるを得ないかもしれない、と思いつめ、それでもどうしてもやりたいと思って立ち上げた企画でした。そのときの絵永さんとの出会い、石川裕人さんとの再会が、私にとって演出家としての大きな転機でした。

前置きが長くなりましたが、最近は本当にしょっちゅうお世話になっている絵永けいさんを、私目線で紹介させて頂きます!

・昨年の石川裕人さんの命日には、ありがたくも絵永さんからオファーを頂いて、「ゴッセーノセイ東北!!」という作品を劇団石川組で上演させて頂きました。ところが上演2日目はなんと台風19号直撃!3.11メモリアル館での上演でしたが、帰る時には電車はすべてストップ、仙台駅構内のすべてのお店が閉店していました。そして絵永さんが一言。「ニュートン、台風大好きだったもんなあ…」なるほど。そういえばそんなこと、ブログに書いてらっしゃいましたね。

・セリフに対する音感というか直感が天才的です。胸を打つセリフが、胸を打つ音と間の取り方とリズムで心に入ってきます。まさにこのタイミング!というところでドンピシャにセリフが来る。これは絵永さんの天賦の才なのでしょう。

・目力がすごい。同じ目力でも、ギュウ氏や原西さんのようなバッグベアード的なのではなく、観る人を物語世界の感情に巻き込んでしまうのです。私は「火事とポチ」の稽古の間、できるだけ絵永さんと目を合わせないようにしていました。ただでさえ悲しい場面のセリフがドンピシャで飛んでくるのに、その上絵永さんの目をみちゃったら泣いちゃうからです。※バッグベアード:巨大な一つ目の妖怪。睨まれると強烈な目眩を起こすため、ビルの屋上などにいると落されてしまう。

・役者として雲の上のお方の絵永さんですが、もしかすると若干方向が苦手でらっしゃるかもしれません。打ち合わせで事務所にいらっしゃるとき、「行けるかなあ」とおっしゃっていていて、2回とも違うところへ行ってらっしゃいました。分かりにくい場所だしな、と思っていましたが、その後カメラマンの小田島万里さんにプロフィール写真をスタジオをお借りして撮影していただいたときも、「あれ、絵永さん、来ないね…」とお待ちしていたところ、全然違うところで迷ってらっしゃいました。私は子供のころから病的方向音痴で、いまだ一番町商店街で迷子になるので、何か同じニオイを感じるのです。絵永さん、違っていたらごめんなさい。

そんな絵永けいさんの「火事とポチ」、15日15:00配信です!どうぞハンカチを用意してご覧ください!

暗渠の光明  石川裕人
思えばとんでもない時代を生きているものだと思う。
千年に一度の世紀末=大世紀末なのだ。愚生はオカルト主義者ではないが、それっぽいのは好きで芝居のネタに使ったりしているから様々な風説を読んだり聞いたりしている。

この時代、惑星直列も同時に進行し、大破局が地球と襲うというのだ。いやあ、怖いですねえ。どこかに逃げたいけどそうもいかないものなあ。金の亡者の官僚も、利権しか頭にない政治家も、巨万の富を蓄えシェルターに住む世界の大富豪も、テメエの地位を守る事ばかりに汲々とする小役人も、不条理と理不尽が背広を着て闊歩する日本資本主義の尖兵たちも、自分の健康と幸福しか望まないゴルフ好きの馬鹿社長も、何が正義で何が不正なのか分からず右往左往する愚生のように無?な多くの人々も、もう終わりそうなので、そろそろ年貢を納めて頭を剃り、大世紀末の奇跡に手を合わせましょうかね。
「現代浮世草子集」。家族の崩壊、銃と戦後社会の暗合、宗教の闇の世界、学校のいじめ問題とテーマをそれぞれ変えながら書き、上演してきた。反響は手前味噌になるが、大きく深い。暗い時代への弔辞ちうような作品群だが、何か吹っ切れたものがある。
言葉という言葉が外へ向かって無力化しつつある現在、身体言語という砦を持つものは演劇に他ならない。今こそ演劇の力が問われている時代なのだと一人ごつ。暗渠の光明とは演劇の事である。※暗渠=地下に埋設したり、ふたをかけたりした水路。