3月11日

2020年の3月11日。夫と少しだけゆっくり昼食を取ってから、上の息子を迎えに行き、荒浜へ向かいました。保育所を卒園するまで、ちょうど午後はお昼寝時間だった息子。この日一緒に荒浜へ行くのは5年ぶりとなりました。車を降りてから、変な悪ふざけばかりする息子。最初はきつく注意しましたが、途中で気が付きました。変にふざけてみたり大きな声を出して見たりするのは、緊張したリいつもと異なる何かを感じたりしたときの彼の癖です。今年は慰霊祭がないけれど、たくさんの人が手を合わせにきていました。よかったな、と、思いました。今日のこの日、ほとんど人が来なかったら、きっとさみしかっただろうな、と。

慰霊碑の前で手を合わせ、震災遺構となった住居跡を、息子が「見たい」というのでぐるっと回って帰宅しました。荒浜小学校も見たかったようですが、残念ながら3月いっぱい閉館です。

帰宅後、夕方震災の特集をテレビで見ていたら、そこから、息子が溢れるように話し始めました。「地震のとき、光ちゃんお母さんのおなかの中にもういたの?」「お母さん、誕生日のお祝いする予定だったの?できなかったんだね。」「9年もたつのにどうして帰れない人がいるの?」「何で人は原発なんかつくったの?」「放射能って、シンゴジラで出てきたけどお話の中のことだって思ってた」「地震があった日、お母さん今頃何してた?」「おりんとえびす(うちの猫の名前)はどうだったの?」「お父さんとはいつ会えたの?」「賢ちゃんくらい小さい子でも亡くなった人もいるんでしょ」一つ一つ、息子と話しながら、私自身もあの日のことを思い出していきました。息子は、びっくりしたり、考えたり、泣きそうになったりしながら、お話が止まりませんでした。

彼は2012年8月に生まれた子どもです。震災を知りません。彼が1歳になったときに始めた「東北物語」という企画のパンフレットに書いた文章を、ふと思い出しました。

2011年に東日本大震災が起こった。気持ちが混乱した日々が続いた。2012年夏,息子が生まれた。先日1歳8か月になった。遠くない将来息子は震災があったことを知る。親としてどう話したらよいのか,まだ心も言葉も追いつかない。ただ一つはっきりしていることは,彼は東北の子どもであり,ここで育っていく。私自身にものをかく力はないが,東北の物語の力を借りて,「東北は本当にすてきだぞ!」と叫び続けることが,ここで生きるもの,ここに命を残したものの使命だと考えている。

ああ、そうか。と思いました。彼が経験していない”震災”が、彼の人生に中に根を下ろした瞬間だった気がします。7年たって、ともに震災のことを語り合う日が来たのだと。

まだ幼い息子よ。小さな頭と心とで、それでも一生懸命感じ、考えてほしい。そして、どうか光の歴史をつくっていってほしい。