被災地を歩く①。

10月11日(金)はシアターグループオクトパスの座長であり、作家であった、石川裕人さんの命日です。その日に合わせて、
2018年3月に上演した東北物語での台本を再演させてほしい、また演出もできればお願いします、というご依頼を、「土神ときつね」の公演のときに、オクトパスの女優であり、石川さんの奥様でもある、絵永けいさんからいただきました。
 台本を読み返すうちに、震災から8年半の歳月が経過していることや、今回はYONEZAWA GYU OFFICEの企画ではなく、石川裕人さんとともにお芝居を作っていらしたメンバーである、「演劇ユニット石川組」の皆さんが主体となっての企画であることなどを考え、構成を大きく見直すことにしました。
 同時に、これまで仕事や子育ての忙しさを言い訳に、でも本当のことをいうと足を踏み入れるのがどうしても怖くて行けなかった被災地の「今」を、今こそ見に行くべきだ、という思いが湧いてきました。最初は、子どもの頃からの思い出がたくさんある、荒浜周辺と、荒浜小学校へ。夫に一緒に行ってほしいと思っていたのですが、思い直して一人で行くことにしました。下の子を保育所へ送っていき、バイバイと手を振って保育所の扉を閉めるときに、足と手が震えているのが分かりました。荒浜近郊は、小学校だけでなく、津波で流されてしまった住宅があった跡地も、そのまま震災遺構として残されていました。大学生の頃、炎天下の中原付バイクで海に行ったり、ご近所のおじさんの家でシャワーを借りたりしたところです。平日の9時頃でしたが、小学生の子供たち、それから数人の方が来ていました。住宅跡地を歩きながら回りました。一か所一か所にかなり詳しく説明が書いてあり、津波の威力と被害の大きさ、それからあのときの気持ちが一気に甦ってきます。ただ、不思議なのですが、歩いているうちに、こわさはどんどんなくなっていきました。それから、これも不思議なのですが、一人で歩いている気がしないのです。誰かがそばにいる。声が聞こえるとかじゃなくて、気配のようなものです。人一倍怖がりな私ですが、なんだか暖かく、力強い、不思議な安心感がある気配なのです。石川さんが「人や銀河や修羅や海胆は」の最後で書かれていた台詞を思い出しました。もしかしたら石川さんもビビりな私のために近くにいらしてくださったのかもしれません。